ふーらり先生

2014-01-25移働する診断士

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 私の旅歴に大きな影響を与えた一人の人物がいます。鈴木喜一先生。
この方、気が付くとふーらりふーらり旅に出て行ってしまう。それは国内だったり海外だったり。
だから、たまに会いに行っても不在なことも何回か。それでも1月20日付近は必ず会うことができる。
というのも先生の絵画展がこの時期にあるから。

今年もその季節になったので会いに行ってきました。
ただし、例年と異なることが一つだけ・・・・

<鈴木喜一とは>

鈴木喜一氏 1949年1月20日生まれ 建築家でもあり画家でもあり旅人でもある。

私が初めてあったのは2002年5月。街や空間というものに興味を持ち、神楽坂建築塾の門を叩いたのが始まりでした。
初めてあった直後にギャラリーで行われたイベントで観たのは、最近行ってきたという旅のスライド。
当時はまた、リバーサルフィルムを使って投影機で音楽に合わせて写していました。スタッフが操るスライドの絶妙なタイミングと美しいヨーロッパ等の海外の写真を見ているうちに、旅に出たいという想いが増長していったのを記憶しています。(この頃は就職してからずっと海外へ足を運んでいなかった・・・)
そんなことをボート感じていたら「一緒に中国へ行きましょう」と柔らかい物腰でそっと声をかけられ、気がつけば中国陝西省〜河南省への旅に同行していました。「喜一先生は魔法を持っている。」先生を知る人は口を揃えてこういう。ある人は仕事を辞めてしまったり、ある人は旅に出てしまったり・・・この魔法に私もかかったくちです。
さて、自分にとって一番印象深かったのは2004年の雲南省麗江から瀘沽湖への旅。この時は、世界遺産都市の麗江を中心に少数民族の暮らしをみたり、電気が1年前にやっと通ったという村に民泊したり、乗っていたバスが水没したり・・人生の中でまずありえない体験をたくさんしました。あっ、と長くなるのでこの旅の話は別の機会にします。

こういう旅に出会えたのも先生のおかげだと思います。そんな先生ですが、一緒に旅をしていてもよく消えます。最初は心配していた周りも麻痺してだんだんそれに慣れてくるのですが・・・きっと先生は旅先であえてはぐれることで、現地の暮らしや建物や美しい風景に偶然に出会える確度をあげていたのではないかと思っています。

そうそう、昨年の4月に近況報告をしたおり、私のTabiikuプロジェクことをメールでやりとしていた時に、「旅育企画はとても興味深いテーマです。着実に軌道にのせたいですね。」との言葉をもらっていたので近いうちにTabiikuディスカッションに登壇願おうかと思っていたのです。

さて、冒頭に書いた例年と異なること・・・
それは、先生が永遠の旅路についてしまったことなんですね。
だから今年の絵画展にもいませんでした。
ふら〜り、ふら〜り 今も世界の何処かの空の上を漂っているのでしょうか・・・

そして、私は今年も素晴らしい絵を鑑賞できたことを感謝していましたとさ。