帰郷つくば2021晩秋(後編)
前編から引き続きで、つくばについて。
つくばと言ったら・・・・「つくば万博」や「研究学園都市」、最近は「TX(つくばエクスプレス)」などが思い浮かびますが、なんと言っても「筑波山」でしょう。遠くは江戸(東京)からも見える二つの峰の山。日本100名山にもなっていて、先ほどのTX効果もあって行楽シーズンには多くの人で賑わっています。僕も、筑波にいた頃は何回も登りましたし、その山麓にも日本の風景を残している面白いところがたくさんあります。でも、今回紹介するのは筑波山の南東にある小さな山「宝篋山」とその麓の小田集落。
宝篋山は461メートルと低山の部類に入る山ですが、筑波山同様に関東平野の縁に突如と現れた山並みの一翼を担っているので、山頂からは開けた平野が一望できます。また、この山の登山道は最近整備されたもので、僕が筑波に住んでいた間に次々と新しい登山道が公表(昔からあったのを整備したのかはわかりませんが当時、登山道のリーフレットが作られたり、登山イベントが開催されて地元の団体がこの山を知ってもらおうと加藤どうしていました)されていました。また、高さこそ低いのですが筑波山のようにケーブルカーやロープウェイがないので、麓から歩くしか山頂へ行く方法がありません。なので、筑波山よりもハードな気もします。この宝篋山の麓付近は伝説では多くの寺院が平安以前はあったとかなかったとか。その遺構も少しみられたりします。
そして、その宝篋山を望む場所にあるのが小田集落。室町時代から戦国時代にかけて小田氏(信長の野望でも出てくる)の本拠地である小田城を中心に城下町の名残を残す街並みが広がっています。この小田城はこの20年ぐらいで発掘から整備までが急激に進んだ場所ですね。初めて訪れた2002年ごろはまだ発掘調査をしていて、障子堀という城の防御跡が見つかったとニュースになっていた時期です。ここは、昭和56年ごろまで鉄道が通っていて、城址の真ん中を鉄道線路が通っていました。今その鉄道跡がりんりんロードという自転車道になっているのですが、この小田城のところで迂回しているのでその名残もわかりやすいです。この小田城後は本格的な城址として整備されていて、今では地元の人が遊びにきたりしています。ここから望む宝篋山が今回も秋の色に染まっていて美しかったですね。
この小田城のことを知りたかったら資料館もあります。小田氏と小田城の歴史を深ーく知ることができます。八王子城もそうですが、こう言った地域密着型の資料館が最近は充実していて面白いです。この資料館がある場所は、もともと鉄道の駅があった場所で今もプラットフォームの名残を見ることができます。鉄道に変わり自転車がここを通り過ぎていくことに、時代の移り変わりを感じます。また季節が変わる頃に来ようと思います。
さて、この小田の隣には旧筑波町(つくば市の旧町村の一つ)の中心となる北条があります。こちらも城があってほんの数キロの距離ですが小田とは何度も戦があったと聞きます。昔の人の距離感覚が掴めるのも面白いです。そして、北条は筑波神社の門前町でもあります。ここから筑波山にかけても面白いスポットが多数あるのですが、こちらの話はまたいつか。(了)