冬と言ったら義士伝(講談巡り)

移働する診断士

 とブログで書くほど、実は忠臣蔵ってよく知っていなかったんですよね。これを知るきっかけになったのも講談を知ったから。そのきっかけは前科も書いた通りうちの曽祖父が講談師でずっと頭の片隅に講談があったから。何気なく、知ってみようかなと思ったタイミングが神田伯山襲名のタイミングと被ったこともあり、Youtubeなどでも触れる機会があって色々と知ることに相成りましたとさ。

 というわけで、今回は時間(あくまで仕事の)の合間を縫って、泉岳寺へ足を運んできました。泉岳寺といえば赤穂浪士のお墓があるお寺ということですが、都心近辺に住んでいてもなかなか行く機会がない場所だったりもします。浅草線で泉岳寺駅があるとはいえこの駅の場所もこれまでいまいちどこなのかがよくわかっていませんでしたが、今回訪れてみてやってイメージを持つことができました。駅前はちょうどJR山手線で一番新しい高輪ゲートウェイ駅(何度聞いてもネーミングに違和感を感じてしまうけど)の再開発地域を挟んだ山の手側にあり、この駅からさらに数分中に入った高輪の地の趣があるところが泉岳寺でした。

 そもそも、なぜ赤穂義士のお墓があるのかとういうと、このお寺が浅野内匠頭(赤穂のお殿様)の菩提寺だったので、家来の皆々様も同じくこの場所ん葬られているというわけだそうな。そんな場所だけど、どうもお墓の写真を撮る気にはなれず、今回は本堂と参道の写真を掲載。

 参道では四十七士にちなんだ各種おみやげを販売していました。なかでも一際目を引くのは「切腹最中」ネーミングからしてちょっとびっくりしました。コロナで人もまばらな状況でしたが、きっとコロナ前はインバンドも含めて人が絶えることがなかったのでしょうね。

 この赤穂義士伝は講談では本伝、銘々伝、外伝と全部で300席(話)ぐらいあるそうです。本伝はドラマや映画でも良くある殿中松の廊下の話から討ち入りまでの一連の流れのもの、銘々伝は義士一人一人にフォーカスを当てたストーリで、外伝は義士を取り巻く人々のさまざまな話となっています。さまざまな角度から余すところなく物語を楽しめるようになっています。それだけ、当時大きな事件だったのでしょうね。ちなみに、最初にこの模様を口伝するニュース的に講談が出来、それが浪曲や芝居(歌舞伎)に取り入れられていったそうです。

 さて、で題名の「冬と言ったら義士伝」というタイトルですが、これは、赤穂浪士の討ち入りが12月14日(浅野内匠頭が殿中松の廊下で吉良上野介へ切り付けて即日切腹となったのが3月14日と14日にかけているわけですが)で冬の雪が降る日だったところから、この時期になると義士伝を講談で演じられることが多くなっているそうです。

 今ちょうど講談ブームで講談会も増えているのと冬は義士伝がメインになるので、聞きに行ってみてはいかがでしょうかね。