インドネシアへ

2023-07-23移働する診断士

今、仕事でインドネシアに来ています。

昨年からのご縁で、インドネシアの方に対して日本でのビジネスチャンスについてのセミナーの一環でお話しさせていただくためです。

こうして、海外に来れる様になって、一年まででもまだ海外にへいくことが難しかったのを考えると、ようやく本当にコロナが落ち着いたと感じることができます。

思い起こせば、2000年の5月に電子政府の実態を知るためにエストニアへ行こうと準備していました。しかし、ご存知のコロナで3月下旬に国境が閉じてしまい、こちらの企画は幻と化してしまいました。それ以来の海外です。

インドネシアというと、ちょうど先月に天皇陛下がコロナ後初の海外訪問先となった国でもありますね。実はマレーシアとの位置関係もちょっと怪しいくらい、今まであまりインドネシアに対してのイメージを持っていませんでした。今回の訪問地はジャカルタだったのですが、ここが南半球というのも前日に気がついたくらいです。北側に太陽があるのが不思議な感じですね。

私のアジア訪問歴でいうと90年代終わりに香港、2000年代前半に中国、2007年台湾、2013年ベトナムと比較的日本寄りの地域が多かったのと、それぞれ訪問した時期がこれから発展が本格的に始まるというタイミングだったのを思い出します。2000年代というと中国の成長が始まった時期で、上海こと近代的ではありましたが、西安やそれ以外の地方都市はまだまだ、舗装率も低く、街中は土埃舞う状態で、あちこちで建設中の建物が目立った時期でした。同行していた結構年配の方々が日本の昭和30年代ぐらいを思い出すと話していた様な感じですが、世界的に携帯電話が少しずつ普及し始めた時期でもあって、そういうのんびりした風景と携帯電話を片手に人々が話をしているアンマッチな感覚が強く印象に残っています。どことなく牧歌的な雰囲気を感じていました。

2013年にベトナムのハノイを訪れた時は、ベトナムが戦後(ベトナム戦争後)のベビーラッシュで若者がとても多くて活気があったのを思い出します。道路を走ると生きた鶏を積んだトラックや、道端の物売りが袋入りのバインミーを売り込んでいる風景など、人々の逞しさを強く感じました。あの頃の子供達が今やITで日本のアウトソーシングの主力になっていることを考えると不思議な感じですね。

今回のインドネシアは、今の大統領が主導して大きく開発を進めている状況ですが、前回のアジアから10年経っているので、生活している感じは東京にいるのとあまり変わらない気がしています。ITの活用面では日本よりも進んでいる部分も多く見受けられました。例えば、タクシーやバイクはアプリで呼ぶのが一般的みたいで、日本でタクシーを使うよりもカジュアルな感じを受けました。また、通信面も屋外でも無料のWiーFiスポットがあったりするので、あまり困ることはありませんでした。ただ、物価自体はまだまだ日本の方が高いので、日本から行くとさまざまなものが安く手に入ります。一方で、インドネシアは富裕層も多くいるので、この層の方の感覚は日本の一般的なレベルよりもかなり贅沢な暮らしをしているみたいです。ジャカルタ市内のショッピングモールへ行ったのですが、富裕層向けの店舗が多く入っていて、お客の入りもいい感じでした。人口も増えているみたいで、10年後にはアメリカの人口を超えるとも言われているそうです。実は、これからの時代はインドと最近言われていますが、その次にくるのがインドネシアという話もでいる様です。そういう状況なので、しばらくインドネシアについてはウォッチしておこうと思いました。

初めて私が海外へ行った1995年はまだまだ日本は世界の中でも経済力もあり、他国に比べると裕福なイメージがありました。しかし、それから30年で日本がどんどん遅れていっているのを海外に出るたびに感じています。遅れていくというよりはこの当時の日本は裕福で最先端というイメージをいまだに持ち続けて、他国に抜かれていることに気がつかないというの方が正しいのかもしれません。

井の中の蛙にならないためにも、定期的に海外へ足を運ぶことは大切ですね。