2022年明けの移働は茅場町から

移働する診断士

あけましておめでとうございます。

今年は某公的機関の仕事もしている関係で、年末は29日まで、年明けは4日という結構短いインターバルでの移働復帰です。そして今年最初の移働は江戸の香りが残る茅場町から。こちらにある、co-Edoさんで少し仕事をしてから諸々訪問でした。ちなみに、このコワーキングスペースのURLは、https://www.coworking.tokyo.jp/とあって、東京でも初期に立ち上げられているからこのドメインを取得できたのかなと勝手に推測です。東京の東と西って意識的な距離があって、以前東側に住んでいた時は渋谷とか新宿は遠い感覚があったのですが、今は西側に住む身なのでこの辺りはなかなか行きづらいと思っていましたが、地下鉄を使いこなせるようになると、そこまで遠くないかなという感じです。

 茅場町といえば、前の前の会社に勤めてた20年ぐらい前に木場やこの辺りでよく仕事をしていたのを思い出します。あの頃はヒイヒイ言って働いていたので、川ののんびりした雰囲気やちょっとした風情が残る街並みを楽しむなんて余裕はありませんでしたが・・・あの頃によく利用していたProntが残っていたのは少し嬉しかったですね。

 この、「茅場」という名は、茅葺き屋根の茅を作る場がここにあったからついた名前だと思います。江戸の地名は町の機能をそのまま街の名称にしたところが多いので面白いですね。ちなみに、Wikiで調べてみると

江戸城が築城された当時は茅が生い茂る草原で、屋根葺の材料となるカヤで商いをする商人が住んでいた場所と伝えられている。

 Wikipedia

とありました。茅場町界隈は日本橋川と亀島川という川に挟まれた地域で、(co-Edoがあるのは新川町)正式な町名は日本橋茅場町と言います。茅場町は地下鉄で行くことが多いので、都心から結構東に離れたイメージがありますが、日本橋と名がつく地域なので東京駅から歩いても4〜5ブロックほどしか離れていないのは意外でした。こんな都会ですから、今この近辺を歩いてみても葦は見つかりませんね。また、co-Edoのある新川町、元々は足の生える低湿地だったところを埋め立ててできた土地で霊岸島という名がつけられたそうな。あんまりおどろおどろしい名前だったので今の新川町の方がいいですね。江戸の運河整備の中で自然の河岸は相当改良されて、おそらく江戸末期には茅場としての機能は果たしていなかったのではないでしょうかね。さらに明治〜戦後の都市化によって今の姿に変わったのだと思います。こうして橋から川面を眺めていると落ち着くのはその場所の持つ力があるからだろうなと思います。

写真は、霊岸橋から亀島川を見たもの。河岸は平成に整備されたみたいで、柳などの植栽もあり、川へのアプローチもしやすくなっている。

今年も、いろいろな場所から移働をしていく予定です。(コロナの危険度も下がりましたので)ちなみに、移働移働とこのサイトではよく言っていますが、診断士は基本的に事務所にこもるよりは相手先へ行くことが多いので事務所を持っていないケースが多く(自分もそうです)つねにいろんな場所で働くことになるので基本移働ということになります。

といっても、オンラインが増えたのでいろんなコワーキングスペースから行うのが理想ですね。

・コワーキングスペースco-Edo:https://www.coworking.tokyo.jp/
・霊岸橋について詳しくは、http://www.mport.info/kandagawa/bridges/reiganbashi.htm