ネオンサインノスタルジー

移働する診断士

 父が亡くなってから、だいたい二週間に一度は、千葉の実家へ行くようになった。日々の仕事場は固定していないから毎日方々へ出向いているので、普通の人よりは出歩いている方だけどたいてい都心なので、実家の周りの田舎郊外へ来ると小旅行へ来た気分になれる。

 東京の西から首都高を抜けて東側へ行くので、毎度渋滞が激しく、時速30キロぐらいでまいど首都高をのんびり観光。子供の頃は東から西へ(母の実家が北区だったので)首都高を走る車の中から眺めていたのを思い出す。

 C1と呼ばれる都環を走ってはいるのだけど見える景色はずいぶん変わったと思う。子供の頃(昭和50年代)は、ビルの高さも今ほどではなく、周りのビルもどことなくコンクリートぽい灰色のものが多かったと思う。夜走る時には、ビルの上に様々な広告のネオンがあって、日本酒(大関だか、月桂冠だか)とかカルビーのポテトチップスのネオンサインが右から左、上から下へと色が付いたり消えたりしながら賑やかだったと思う。5号池袋線からC1なので、飯田橋から神田橋ぐらいまでだろうか・・・そんな景色をみる車の中は、観覧席のようで楽しかった。(今もネオンサインは残っているけれど、だいぶ減ってきている)

 今も、高層ビルはさらに天高く目指し、どのビルもガラス張りで太陽の光をキラキラと反射している。道から見える緑は実は増えたのかもしれない。見える広告は大型スクリーンで次から次へと場面転換していく広告が流れる。目的は同じでもものすごい進歩だと思う。

 なにかの本で、記憶は自分の頭の中でぼんやり浮かんだ画像というか感覚がもとという話があった。現実にその瞬間目から入った像の構成を脳の中で覚えておいて再度再現しているらしい・・・なので、僕のこの像と、もし同じ時にその景色を見ていた弟が思い出した画像は異なるものになるんだと思う。

 と考えると記憶というのは極めて主観的で脆いものだとも言える。最近になって昔の映画を違った観点で観るようになっている自分がいることに気がついた。それは、当時の姿を知る娯楽として、その当時がどういう世界だったかを楽しんでいる。これに気がついてから、自分が生まれる前の映画もすんなり楽しめるようになった。映像は時代の考証人。

 結局は「懐かしいな、あのときは良かった」と過去を美化した娯楽を楽しむことのニーズは高く、過去のヒットコンテンツを物販(映画の特別セットとか)したり、思い出を残すビジネス(思い出箱とか、終活サービス)が盛況なのを見てノスタルジーな時代なのかとも感じる。

 子供の頃(昭和50年代)は、だいぶモノが溢れ始めた頃とはいえ、まだまだモノが売れる時代だったから、まちなかの広告はモノが欲しくなるようなもので溢れていたと思う。でも、バブルを乗り越えて世の中から物的な不自由さが失われた今の世界では「欲しいモノがない」なんてよく言われる。だから、サービス(コト)の時代なんて言われていて、僕がメインで使う知的資産経営や経営デザインという手法も有効になってきてる。

 過去や記憶や記録を売り物にするサービス(ノスタルジーな時代)はまだ3〜40年は続くのだろうけど、デジタルネイティブな時代になるとそれをサービスとして提供するのは難しくなるのではないかな。だって、生まれたときからの自分がすべて動画や写真、SNSによって膨大な量のデータとして自分が保有しているから・・・モノもコトもどちらも頭打ちになる、そんな時代には何が流行るんだろうか・・・・

 なんてことを、考えてしまうのも、実家にしょっちゅう帰っているからかもしれない。

 ホントは、移動による気分転換について書こうと思ったんだけど、横道それた。これもまた小旅行