都市で暮らすということ

移働する診断士

田舎の実家の庭に柿の木があり、そこの柿がたわわになっていたので、いくつかもらって帰ってきました。
実家にいた頃は柿の木はあったものの、なる柿は美味しくなかったので家族も採ることなく、秋の終わりになるとカラスしか食べないような代物だったのですが、それから何十年も経って木が成長したからか?きちんと栄養をやっているからか、甘い柿がなるようになったらしく、この数年毎年この柿の木のみをとるようになってきました。

私の両親は、リタイア後にずっと手付かずでジャングルのようになっていた庭を一掃し、必要な木以外は全て伐採して薄暗かった庭があかりの指す庭に変化し、空いた場所で家庭菜園も始めています。春は長さ咲き乱れ、夏から秋にかけてはさまざまな野菜が取れ、帰省するたびに私ももらって帰っています。家庭菜園の野菜は常に旬なものが取れるのは嬉しいのですが、ある一定期間、その野菜が取れ過ぎてしまうのと、近隣でも家庭菜園をやっているお宅が多く、ある程度は物々交換がこの界隈でされてはいるものの、どうしても被ってしまい、その消費の一端を担うことによくなります。今年は、絹さや、インゲン、ゴーヤやナスなどがその定番になっていました。

もちろん、育てるのが難し野菜には手を出さないので、キャベツやレタスといった定番が帰ってなく、大量に持って帰った時には、それをどう食べていこうかと結構悩んだりするのも事実ですね。

東京に住んでいるとなんでも買うという感覚がついてしまいますが、ちょっと郊外に行くと食べ物はこうやって自然に流通していたりします。また、野菜に限って言えば鮮度が全く異なります。どうしても都市というところは狭い場所に大量に人が流れ込んでいるので、土地を必要とする作物などは作ることができず、高くて鮮度の落ちたものを買わざる得ないというのも事実です。一方で、地方から都心へ地場の新鮮なものを直接持ってくると高付加価値がつけられるという傾向もあります。青山のファーマーズマーケットなどはその良い例ですね。

また、とにかく人が多いので、どこへ行くにしても、人人人。観光地は今インバウンド旅行客が日々戻ってきていることで、徐々にオーバーツーリズム(観光地が受け入れられる容量を超えてしまうこと)になり始めていますし、買い物をするにしても、結構な人だかりを超えていかなければいけません。平日でも街中でお茶をしたいと思っても、3時ごろはどこも満員で入るための行列を見て諦めたことがなん度もあります。

休日は休日で、ちょっと観光地へ足を伸ばそうと思っても、考えることはみんな同じで、道路は行きも帰りも渋滞、観光地も人人人(特にコロナの反動で人は多くなっている)で、癒しを求めて出たのに、逆に疲れてしまうなんてこともありますね。

しかし、東京から電車で1時間も離れるとだいぶ暮らし方は変わってきます。私も、以前は茨城県南部に住んでいたことがりましたが、ビルはそこまでなく空が広く、土地も結構余っています。都心のように物がものすごく揃うわけではありませんが、郊外型のショッピングセンターがいくつもこの20年ででき、郊外と同じぐらいにチェーン店(というところはありますが)は進出していて、物も揃います。移動が車中心になるところは致し方ありませんが、渋東京から出るための渋滞がなく、いろんなところへ車で移動ができるので結構便利だった気がしています。そして、野菜や果物も新鮮で安い。

本来、食材というのは、肉や加工品は別として、野菜などは自給できていた物だと思います。まだ一次産業が主体の社会だったというのもありますが、それが都市中心の暮らしになって、だんだん一般人の手から離れて、お金が必要になったのが今と言えますね。