浅草橋〜両国

2009-05-10移働する診断士

神楽坂建築塾のフィールドワークで浅草橋から両国橋を得て両国界隈のまち歩きをしてきました。

出発はJR浅草橋駅。よく浅草と勘違いされる為か(私も子供の頃はここが浅草と思っていた)浅草線への乗り継ぎと浅草で無いことが駅に表示されていました。
この浅草橋は人形屋の集積地らしく駅前には人形の秀月のビルがあります。少しはなれたところに人形町と言う地名があるのですが、そちらではないのですね。東京(と言うか江戸)は地名からどの様な産業が起こった場所なのかが結構読み取れます。それこの付近一帯が江戸開府以前は海の上。要は埋立地で幕府が造成して商人町を誘導していったから特に地名がそうなっていったのでしょうか?

浅草橋駅のホームは狭い土地を高架にしているので、道路上に効果がはみ出しています。この後に訪れる両国が総武線(千葉方面)の終着駅だったのですが、省線(国電)が通ったのは結構後の方の事だと記憶しています。だから既に出来上がった町の中を無理やり通してこんな形になったのでしょうか。

浅草橋(これが駅名の由来)という橋から神田川を下流へ望みます。川の両脇には船宿が立ち並びちょっとした水の都を感じられます。(堤防で囲われてしまっているのが惜しい)
こちらでも神田川の様子は紹介されています。神田川は海に直結しているので干潮時は下流へ水が流れ満潮時は上流へと流れが逆流し干満の差は1mにもなるそうです。

こちらが総武線のターミナル(終着駅)であった両国駅です。10年前までは銚子方面の特急の始発が今は閉鎖された3番線から出発していたのを記憶しています。そして両国と今で言えば相撲の町です。このあたりの地名は「横綱」と書くのですがなぜか読み方は「よこあみ」といいます。この日は大相撲の初日でした。期間中朝9時と6時にはやぐらの上から太鼓の音が聞こえます。この前に旧両国国技館前とかも歩きました。辰野金吾監修の建物だったそうです。東京駅といいお抱えだったのですね。私の祖父が日本橋生まれの両国育ちで子供のころよく相撲部屋へ遊びに行ったという話しをしていました。

東京都慰霊堂は国技館の北にある安田庭園の更に奥にあります。関東大震災と東京大空襲(こちらは後から)の犠牲者慰霊の為に造られたもので、伊藤忠太設計です。