気仙沼視察2019

2019-07-11移働する診断士

2日目は、まず、最近公開となった気仙沼東日本大震災遺構・伝承館へ

こちらは、津波に建物が大きな被害を受けた向陽高校を震災遺構としたもので、津波の恐ろしさを知ることができます。ちなみに、この高校で被害にあったのは2名(しかも下校していた)だけで多くの生徒は自力で高台へ逃げられたそうです。というのも、津波が来るまでに1時間の時間があり高校生たちにとっては避難するのに充分時間があったらだそうです。逆に被害に遭われ方の中には老人の方や家に置いてきたものが気になり取りに戻ってしまった方が多かったそうです。

三陸地方では昔から津波が繰り返されていることを初めて私が知ったのは実は97年にノルウェーへ行った時のことでした。現地のテレビで「Tsunami」という特集を組んでいて、その番組の内容が日本の三陸地方で繰り返し発生した地震と津波の話で、その中で三陸地方の人々はこれを教訓にしていると放送していました。その様な歴史があってもいざ起こるとやはり被害は出てしまうという恐ろしさを感じます。(歴史を調べてみると、定期的に津波は発生していて、1933年は28.7mで約3000名、1896年も38.2mで約22000名の死者・行方不明者を出している)

その後は気仙沼の水産加工業者様の工場を2者見学させていただきました。

まずは、気仙沼の港そばにある足利本店様
震災時も被災し一時は従業員の生活を考え解雇したけど、その数年後に再開する時には4割の方が戻ってきてくれたそうです。今では若者を積極的に採用していて他地域から就職する方もいるそうです。特に特徴的だったのはHACCAP認定されている工場。見学のために入る時も衛生面のレベルが高くエアシャワーから殺菌までしっかりとされていました。また、港から購入してきた魚が次々と運ばれ、従業員の手で食品用に捌かれていくながれを滞りなくテキパキと進められているのが特徴的でした。また、BtoBだけでなくBtoCでは「素材屋」という直販サイトも運営しているのでもしよろしければ試してみてください。

次は、山の奥に工場を移転されたヨシエイ加工株式会社様
こちらは、気仙沼の港から内陸へ車で15分ほどの山の中。まさかこんな所にという場所に二棟の工場がありました。(震災は前は港の近くにあったそうです。)気仙沼名産のフカヒレを加工しているのがヨシエイ加工様。工場の中では仕入れてきたサメのヒレを解体しその皮を剥ぎ具所までは全て手作業で行なっています。
工場の中では何十人もの人がそれぞれの持ちがで手際よく作業をしていました。この工場の特徴としてはほぼ手生産であること。設備は乾燥用の機械と真空パック用の機械のみで、最上品は乾燥も工場の外で自然に行なっているとか。今では自然乾燥を行う工場が減りいずれは消えゆく運命ということでした。

そして、気仙沼街バルです。このバルは震災復興支援の一環として企業内診断士が一丸となって提案したのが始まりで、この経緯をいつもお世話になっている診断士の川居さんからレクチャーしていただきました。(そもそものきっかけが川居さんとのこと)被災した地域の中で気仙沼がたちは一番異なるのは、当初は競合同士だった商店街を結びつけ一緒に街を盛り上げるために「街バル」の提案を提案しそれが7年以上にわたり続いているという事です。それもあり今でも診断士が直接、街の復興に携わっていることは正直すごいことだと感じています。

多くの診断士がボランティアとして参加している。

気仙沼バルの一部をご紹介します。

震災直後にできた屋台村が今度リニューアルする「みしおね横丁」がプレオープンでまちバルへ参加。青空のもと早くもバル開始です。

一気に駅前へ移動して「晩酌屋でん吉」。店の前でバルの法被を着て呼び込みしていたのも診断士の先生でした。

紫神社前商店街では普段入ることがなかなかできない、割烹世界。こういういうお店も参加してくれるのがバルのいいところですね。