歌舞伎と文化と昭和

移働する診断士

先日、初めて歌舞伎を見に行ってきました。江戸時代までは芝居といえば歌舞伎のことを指したみたいですね。寄席には足を運んだことがあるので、その中の落語や講談の話で「中村仲蔵」、「芝居の喧嘩」やあといくつか演目は忘れたのですがよく出てくるので、雰囲気はなんとなく感じていました。

よく歌舞伎と比較されるのが能なのですが、能と歌舞伎では流行った時代が数百年の開きがあり、能が武家文化で発展したため、どちらかといえば幽幻でわかりづらいもので、その前提知識がないと見ていても理解することが難しいようです。一方、歌舞伎は町人文化の中で発展していったので、一つ一つの所作が大きく場面場面もしっかりと伝わるもので初めてみても、その物語はわかりやすいですね。ただ、やはり江戸時代と現代でもだいぶと気が立っているので細かい言葉や風習、文化については一定の前提知識がないと理解しにくい部分はありました。

さて、今回歌舞伎を見に行った経緯は、親子歌舞伎教室という国立劇場で毎年開催されている企画公演があったからです。なかなか通常の歌舞伎公演だと手が出しづらいのですが、こちらは日本の文化を広く知ってもらおうというものなので、お手頃価格で販売されていました。ただ、子供でも楽しめるないよに問うことだったので演目は子供でもわかりやすいものが選ばれていたみたいです。

もう一つ、この企画が優れているのが、初めて歌舞伎を見る子供向けでもあるので、きちんと解説がついていることです。歌舞伎の裏舞台やお決まりの所作、道具なども丁寧に案内人の歌舞伎俳優の方(紀伊国屋とおっしゃっていました)が説明してくれたので、説明の後の本公演でどこに注目すればいいかなどもわかってとても良かったです。なかなか知らない文化のものに入っていくのは大変なものですが、こうしてわかりやすく説明してもらうと、すっと入っていけると参考になりました。

これ、他の分野でも同じことが広く言えると思います。日常の仕事ではコンサルティング業界の常識、IT業界の常識でついつい話をしてしまいがちですが、相手の経営者がその分野に精通しているかといえばそうでないことのほうが多いわけです。また、「経営」と言うテーマ一つとってもそれを専門で皆さん経営者になるわけではなく、日々の本業の中から「経営的」な部分が必要になって習得していくものなので、話をする時にはわかるように伝えて行かなければと改めて感じました。よく、ほんの些細な改善をアドバイスするだけでものすごく効果があったと言う話を聞きますが、日常はそう言うことの連続なんだと思います。

今回の歌舞伎公演でもう一つ知ったのが、今回訪問した国立劇場がこの秋に改装のために閉場されると言うことです。調べてみると1966年の建築にあたるので約60年。昭和建築の一つですね。最近は東京海上本館ビルが1974年、向かいの日本郵船ビルも再建の話が出ていますし、次々と昭和建築の建物が建て替えで消えていっています。私の親に話を聞くとそれらのビルが新築だった頃を知っているので、この頃に有名建築家が建てた建造物は人の寿命よりも短い運命だといえます。平成以降の建築がガラスをふんだんに利用した軽く明るく開放的なものになっています。一方、昭和の鉄筋コンクリートで重厚な、どっしり構えたものは、なんとなく色気がある人間を感じるものが多いのでこういった建物が知らない間に消えていってしまうことに寂しさを感じますね。逆に、こう言うものをうまく活かしつつ令和にあったスタイルで利用していくことができないのかとちょっと思ったりします。ただ、開発行為には巨大なお金が動くので、ゼロから作ったほうがいいとなるのかも知れません。文化的な施設なので、こう言う建築文化も残せないものかとちょっと思ったりしますね。