日本の中の海外

2023-04-02移働する診断士

4月になりました。早い会社は4月1日(土)に新しい社員を迎え入れたのではないでしょうか?3月は公的機関の事業が決算時期に入っていたため、他の月より仕事が少なめなので、普段整理できていないことに取り組んだり、いろんなところへ仕事以外で足を伸ばしたりとしていました。先日も、インド人の友人を訪ねて西葛西へ行ってきました。西葛西は日本でもインド人が多い街として有名です。駅を降りるとインド人の方とすぐにすれ違いますし、インド料理やインド食材の店が年店舗もあります。西葛西を中心に近辺の駅でもインドの方は多く暮らしているそうで、江戸川区だけで5200人ほど暮らしているそうです。

この西葛西=インドのイメージ、私が初めて西葛西に行った2000年ごろはまだありませんでした。調べてみたら、西葛西にインド人が増え始めたのはちょうどこの2000年前後で、最初はインドの紅茶業を営んでいたインド人の方が西葛西に駅が出来てばかりの頃に住まわれたのがきっかけだそうです。その方の面倒見が良かったからか、徐々にインド人が増えて行ったそうですが最初はそこまでではなかったそうです。2000年前後で急激に増えた理由は、懐かしの2000年問題(コンピューターシステムで西暦を下二桁でやっていたために、そのままでは00年を1900年とコンピューターが間違え大混乱が起きると言われていた)を解決するためにインドから多くのITエンジニアが移住してきたからだそうです。(そういえば、友人もITエンジニアでした)

インド料理の店も、この10年でだいぶ一般的になってきたと思います。それ以前は外国人が経営している飲食店といえば中華料理がメインでしたが、インド料理をはじめとしてアジア諸国を中心とした料理店が日本には増えましたね。ただ、インド食材が欲しいとなると都内に住んでいても買える場所は限られてきます。なので、西葛西に来ればまずは揃いそうですね。

日本では20年間でこのように、特定の国の方が特定の街に暮らす流れができています。外国人がいとえば横浜、神戸、長崎の中華街が昔から有名でしたが、新大久保は韓国人、フランス人が多い神楽坂、蕨にはクルド人が多いという話もあります。そういえば、先日横須賀に行ったのですが、こちらは基地がある街なので、アメリカ人が多かったです。街の標識や街中の各種看板も二ヶ国語表記でしたね。これだけ国際化が日本でも進んできたということでしょう。(ちょっと検索かけたら、ブラジル人が群馬とか、フィリピン人が岐阜、ミャンマー人が高田馬場などもあるそうです。そういえば、ノルウェー人は協会があった関係で神戸に多くいた時期があり東日本の時は在日本ノルウェー大使館が神戸にある分館に避難していたことを思い出しました。)

海外の方にとっては同郷の人が多く暮らす街は、日本にいても自国と同じ暮らしを続けやすいといり点がありますね。逆にいえば日本人も、これらの街に住むとその国のことを深く知ることができますね。それらの町では、各国の常識が通用しているともいえます。飲食店、食材店は一番わかりやすいところですが、それ以外にも宗教施設やその国特有の店舗などがあるかもしれません。コロナから戦争を発端に始まった物価高で海外へ行くコストは上がってしまいました。でも、逆に外国からは日本に来やすくなっているともいえます。なので、手軽に外国のことを知れる日本の中の外国巡りをしてみるのはいいかもしれません。そういったところへ足を伸ばしてみることで自分自身の常識を破り新たな発想を生むことができますね。一つの国に閉じこもって考えていても答えが見つからない時代になってきているので、まずは近場の非常識を探しに行ってみませんか?